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東京地方裁判所 昭和47年(ワ)7935号 判決 1974年7月16日

原告

阿部信

右訴訟代理人

増沢照久

被告

朝倉賢治

右訴訟代理人

岩本公雄

被告

坂本昭

右訴訟代理人

源公信

主文

被告坂本は原告に対し金三〇〇万円及びこれに対する昭和四七年九月二九日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告の被告朝倉に対する請求を棄却する。

訴訟費用は、原告と被告坂本の間で生じたものは被告坂本の、原告と被告朝倉の間で生じたものは原告の、各負担とする。

この判決は、原告勝訴部分に限り、仮りに執行することができる。

事実

第一  申立

(原告)

一、被告らは各自原告に対し三〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二、訴訟費用は被告らの負担とする。

三、仮執行宣言

(被告ら)

一、原告の請求を棄却する。

二、訴訟費用は原告の負担とする。

第二  原告の主張

(請求の原因)

一、事故の発生

原告は、被告坂本の運転するホンダCB七五〇型自動二輪車(多摩ハ二八七〇号、以下被告車という。)の後部座席に同乗し、昭和四五年八月一九日午前一一時二五分頃国道二〇号線の神奈川県津久井郡相模湖戸木良五三七番地路上を山梨県方向から東京都方向へ進行中、被告坂本は左折の急カーブを徐行も減速もせず漫然進行しセンターラインを越えたため対向進行してきた大型貨物自動車に激突し、そのため原告は顔面挫創、左上腕挫滅創、左上腕骨々折、静動脈切断等の傷害を被り、山下外科医院、上野原病院、岸中外科医院、東京慈恵会医科大付属第三病院等で順次入院加療を受けたが、左腕をついに切断せざるを得なかつた。

二、責任原因

(一) 被告坂本は右のとおり運転に際し注意力を欠き左折の急カーブで徐行減速を怠りセンターラインをオーバーした過失により右事故に至つたものであるから、民法七〇九条に基づき原告に生じた損害を賠償する義務を負うものである。

また被告坂本は被告車の保有者でもあるので運行供用者として自賠法三条に基づいても被告車の運行に因つて原告に生じた損害を賠償する義務を負うものである。

(二) 被告朝倉は被告坂本を使用し、建材業を営む者であるが、営業上の配慮から被告朝倉名義で被告車を買受け、被告坂本に使用させて、保有しているものであり、被告坂本は被告車を被告朝倉の営業の執行にも使用している。よつて被告朝倉は被告車の運行供用者として、被告車の運行に因つて原告に生じた損害を賠償する義務を負うものである。

三、損害

(一) 治療費 二四万五九七九円

(二) 逸失利益 一〇六五万六六九〇円

原告(昭和二六年一二月六日生、事故当時一八才)は私立大成高校を一年生で中退し、父親の営む中華料理店の営業を継ぐ予定で手伝つてきた。ところが前記のとおり左腕を切断(自賠法施行令二条別表第四級四号の後遺症)したため、現在家業の中華料理店の営業のうち軽い作業を手伝つて父から小遺銭を貰つている程度であり、将来家業を継いでも一生通常人のような収入を得ることはできないので無職者無収入者の場合に準じて算定するのが相当である。従つて原告の逸失利益は賃金センサス第一巻第一表昭和四五年度全産業全男子労働者一八才ないし一九才の平均年収五一万二三〇〇円を基礎とし、労働能力喪失率九二パーセント、就労可能年数四三年としてホフマン式年別で中間利息を控除(係数22.6105)した一〇六五万六六九〇円となる。

(三) 慰藉料 三〇〇万円

(1) 傷害による慰藉料 三〇万円

(2) 後遺症慰藉料 二七〇万円

(四) 弁護士費用 三〇万円

(1) 手数料 一〇万円支払済

(2) 報酬 二〇万円支払う約束

四、損害の填補

自賠責保険から三七二万九七七一円の填補を得た。

五、結び

よつて原告は第三項(一)ないし(四)の総損害一四二〇万二六六九円から第四項の填補額を控除した一〇四七万二八九八円の内金三〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日以降完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(被告坂本の抗弁事実に対する答弁)

一(一)  抗弁一の(一)の事実中、原告は当初富士五湖見物に参加する予定はなかつたが、出発直前に欠員があつたので急に参加することになつたこと、原告はスポーツカーに乗つて出発したことは認める。出発に際し、原告は被告坂本の自動二輪車に同乗を頼んだことはないし、従つて被告坂本から断られたこともないし、また渡辺から同乗を断られたこともない。

(二)  抗弁一の(二)の事実中、スポーツカーを運転していた友人は一泊して翌日帰京し、他の四名は更に一泊したこと、八月一九日の帰路、原告は被告坂本運転の被告車の荷台に同乗して進行中、本件事故に至つたことは認め、その余の事実は否認する。

右旅行のリーダーは渡辺であつたが、帰途に際し原告は渡辺から被告坂本の自動二輪車に同乗するようにいわれたので乗せて貰つたのであるが、その際被告坂本から「俺の車に乗つかるのか事故があつても責任はもたないぞ」といわれたこともなく、「いいよ」と返事したこともない。

(三)  よつて抗弁一の(三)の事実も否認する。

二(一)  抗弁二の(二)の事実中、本件事故現場がカーブになつていることは認め、その余の事実は否認する。原告の所持品はトランジスターラジオであり、これを肩にかけ、両手で被告坂本の腰につかまつていた。原告はカメラを持つておらず、土産品も買つていない。

本件事故は、左折の急カーブで極めて見透しの悪い地点にも拘らず、被告坂本は減速も徐行もせず漫然、時速五〇キロ位の速度で進行しセンターラインを越え対向車と衝突した事故であり、同乗中の原告には事故の発生につき何等の原因も与えていない。

(二)  抗弁二の(三)の事実中、原告の左腕の切断は、転医が遅れたため手遅になつたためである旨の事実は否認する。

上野原病院では、「左腕は切断しなければならない、今動かすと殺すことになるので動かさないでくれ。」といわれていたものである。

三、以上の次第で、被告坂本の免責ないし過失相殺の主張はいずれも理由がない。

第三  被告朝倉の主張

(請求の原因に対する答弁)

一、請求の原因一の事実は不知。

二、同二の(一)の事実は不知。

同二の(二)の事実中、被告坂本が被告車を購入するに際し、銀行ローン上被告朝倉名義を貸与したことは認める、その余の事実は否認する。被告坂本は昭和四三年四月、被告朝倉経営の有限会社三晴建材に入社したものであるが、遊び用の自動二輪車が欲しくなり同年六月頃母親にねだつたが購入できず、知人の圧子正司氏にも保証人になつて貰つて購入しようとしたがこれも断られ、やむを得ず被告朝倉に名義を貸して欲しい旨懇請するに至つた。そこで被告朝倉は、被告坂本が代金(銀行返済)、税金、保険料の支払その他一切の義務を負担することを確認し、銀行ローンの名義人になつただけの関係である。被告坂本は現に右義務を全部履行し、当時、被告坂本が居住していた三晴建材のアパートの屋根の下を駐車場に利用して被告車を自ら管理していた。三晴建材は当時従業員五人、外注者五人位を使用し、営業用として軽四輪二台、ダットサン一三〇〇、一台、二トンダンプカー三台、ミキサー車二台もあり、ダットサン一三〇〇は被告坂本の営業用専用車であつたので被告車を営業用に使用する必要はまつたくなかつたのである。

以上の次第で被告朝倉は、被告坂本が被告車を購入するに際し、銀行ローン上の信用対策として名義を貸与したに過ぎないのであつて、被告車の所有権はもとより、使用権限もなく、被告車の運行につき運行の支配も利益も有していなかつたのであるから、運行供用者ではない。仮りに被告坂本が、被告朝倉の関知しない時、被告車を二ないし三度三晴建材の営業の用に供したことがあつたとしても、右の結論を左右しないはずである。被告朝倉に運行供用者責任を問うのは過酷である。

三、同三、四の事実は不知。

第四  被告坂本の主張

(請求の原因に対する答弁)

一、請求の原因一の事実中徐行も減速もせずとある事実は否認し、その余の事実は認める。

二、同二の(一)前段の事実は争う。

三、同三の事実中原告が事故当時一八才であり、父親の営む中華料理店の営業を手伝つていたことは認め、その余の事実は不知。

四、同四の事実は認める。

(抗弁)

一、好意同乗による免責

(一) 昭和四五年八月初旬、被告坂本は友人の渡辺豊、長谷部薫等五名と富士五湖見物の計画をたて八月一七日頃実行することになつていたところ、一人が欠席することになり、八月一七日の出発当日になつて、急遽、長谷部の友人である原告から参加の希望があつたものである。富士五湖見物は自動二輪車二台及びスポーツカー一台(定員二名)で行くことになり、渡辺と被告坂本は自動二輪車をそれぞれ運転することになつた。原告は被告坂本の自動二輪車に同乗させて欲しいと申出てきたが、被告坂本は同乗は危険であるという理由で断り、渡辺も同様に断つたので、結局原告はスポーツカーに同乗させて貰つて東京を出発した。スポーツカーには定員超過の三名が乗つた訳である。なお、渡辺と被告坂本は中学の同級生、渡辺と長谷部は友人、長谷部と原告は同級生であり、原告と被告坂本はお互いに顔を知つている程度の関係である。

(二) スポーツカーを運転してきた友人は見物を終え一泊して帰京したが、渡辺、長谷部、被告坂本、原告の四名は二泊し、スポーツカーに同乗してきた原告は出発の際の事情から当然電車で帰京するものと、被告坂本は考えていた。ところがいよいよ帰京する段になつた八月一九日の朝、原告は被告坂本に対し、「是非君のオートバイに同乗させてくれ、中華料理の出前をするので昼までに府中につくよう急いでくれ」と懇請するので、被告坂本は出発の際の事情や中央高速道路では自動二輪車の二人乗りは禁止されていることなどの事情もあり、「俺のに乗つかるのか、事故があつても責任はもたないぞ」と言つたところ、原告は「いいよ」と返答したので、被告坂本はやむなく好意で勿論無償で同乗させての帰路本件事故に至つたものである。

(三) このように原告は、被告車に同乗することによる危険を承認し、被告坂本に対し、右同乗から発生する損害賠償請求権を予め放棄する旨の意思表示をしたものである。

また、原告と被告坂本間において、被告車への同乗から発生する損害賠償責任の免責の特約がなされたものである。

以上の次第で被告坂本が責任を負担する理由はない。

二、過失相殺

仮りに被告坂本に責任があるとすれば、賠償額の算定に当り次の事情を、被害者の過失として、斟酌すべきである。

(一) 前段記載の無償好意同乗の事実。

(二) 本件事故現場は昇り坂のカーブとなつており本来スピードの出せるところではなく、当時降雨中であつた。事故現場にさしかかつたところ、カメラとその部品の入つているバック、と土産品をもつて、右手だけを被告坂本の腰部へまわして後部荷台に同乗中の原告が、不注意にも急に動いたので、被告坂本がバランスを失い、本件事故に至つたものである。

(三) 事故後原告は上野原病院に入院したが、同院は設備も悪いので、被告坂本は大きい病院への転院をすすめたが原告の転院が遅れたため、手遅となり、左腕切断となつたものである。

第五  証拠<略>

理由

一被告朝倉の運行供用者責任の有無

<証拠>によると次の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。被告坂本は昭和四三年三月頃被告朝倉の経営する有限会社三晴建材に入社し、右会社の裏手にある同社のアパートに入居し、タイル工の職務に従事してきた。同社は砂利、砂、セメント等の建築材料の販売、モルタル、タイル加工等を業務内容とする会社で、建築現場への建築資材の搬入、建築用具の運搬、従業員の往復等の用途に用いるために数台の自動車を所有し、自動車運転免許を有する従業員にはそれぞれ自動車を一台ずつ専用車としてあてがつていたが、右業務内容からして自動二輪車はさして必要性が少なかつた。被告坂本は、入社当初自動車運転免許を持つていなかつたので他の従業員専用車の助手席に乗つて現場へ出ていたが、その後自動車運転免許を得て軽四輪車をあてがわれ、昭和四四年八月頃からはダットサン一三〇〇を業務用として管理使用を許されていた。被告坂本は自動二輪車の購入を企図し、母親に購入方依頼したがことわられ、そこで、訴外庄子正司に保証人になつて貰つて購入しようとしたがこれもことわられたため、昭和四五年三月頃、同社々長の被告朝倉に依頼し、同人の名義を借用し、三菱銀行府中支店の銀行ローンの手段で被告車を購入し、代金の支払、自賠責保険金の支払等一切被告坂本自らその負担においてこれに当り、被告朝倉はこれに関与していない。被告朝倉は従業員を確保するための労務対策として名義を貸与した。被告坂本は被告車の鍵を自ら保管し、前記アパートの軒下に駐車して管理し、自由に使用してきた。被告坂本は建築現場への往復のためにも自分の意思で数回、使用したことはあつた。被告坂本は昭和四七年一月頃同社を退社した。本件事故は被告坂本が富士五湖への私的な旅行に行つた帰路の事故であつた。

右事実によると被告朝倉は、被告坂本が被告車を購入するに際し、名義を貸与したにとどまり、被告坂本が自らの便宜のため、その負担において被告車を購入し管理使用してきたものであつて、時にその意思で同社の建築現場への往復に使用したことがあつたり、被告朝倉の名義貸与の動機が同社の労務対策上利益であることにあつたとしても、いまだ被告朝倉において被告車の運行を指示制禦することのできる立場にあつたり、指示制禦すべき立場にあつたものとは認められない。

してみると、被告朝倉に対し運行供用者としての賠償を求める原告の請求はその余の点について判断するまでもなく理由がない。

そこで以下被告坂本の関係で判断を進めることにする。

二事故の発生、被告坂本の責任

請求の原因一の事実中、徐行も減速もせずとある事実を除くその余の事実は、原告と被告坂本との間で争いがない。そして右争いのない事実に<証拠>によると次の事実が認められ、この認定判断を左右するに足りる証拠はない。

(一)  被告坂本は、被告車の後部座席に、原告を同乗させて、原告主張の日時頃、左方に曲る見とおしの悪い原告主張の場所に、時速約五〇キロメートルでさしかかつたものであるが、当時小雨が降つて路面が滑りやすい状態であつたのであるから適宜充分に減速徐行して滑走を防止すべき注意義務があるのにこれを怠り、若干減速したまま進行したにとどまつたため、カーブにおいて左に転把したところ後輪が右方へ滑り、正常に戻すべく右転把するとセンターラインを越えてしまい、そのまま左に倒れるような状態で道路右側の対向車線上を滑走し、折りから対向進行してきた大型貨物自動車の前部に衝突した。

(二)  原告は右事故のため顔面挫創、左上腕挫滅創、左上腕骨々折、静動脈切断等の傷害を負い、山下外科医院へ昭和四五年八月一九日入院一日、上野原病院へ八月一九日と二〇日の入院二日、岸中外科医院へ八月二〇日と二一日の入院二日、東京慈恵会医科大学附属第三病院へ八月二一日から九月一五日まで入院二六日の各治療を受けたが、左腕を左肩関節部から切断せざるを得なかつた。

(三)  右事実によると、被告坂本は原告に対し、特段の免責事由のない限り、民法七〇九条により、原告に生じた損害を賠償する義務を負うものである。

また被告坂本は、被告車の運行供用者である事実を明らかに争わないので自白したものと看做す。右事実によると被告坂本は自賠法三条によつても右と同じ義務を負うものである。

そして、本件全証拠によるも、事故の発生ないし損害の拡大につき、被告坂本の主張する抗弁二(二)(三)の事実を認めるに足りる証拠もない。

三好意同乗による免責の有無「損害」の量的制限。

1  被告坂本は、本件事故は無償好意同乗中の事故であるから、いわゆる危険の承認の法理により、損害賠償請求権の事前放棄又は事前の免責の特約がなされたものであるから責任を負わない旨主張するので判断する。

<証拠>によると、次の事実が認められる。

(一)  昭和四五年八月初旬頃、被告坂本(昭和二六年三月二九日生)は友人の渡辺(昭和二五年五月三〇日生)、長谷部(昭和二六年生位)、田中(同年位)等五名と富士五湖見物の計画をたて、同月一七日出発の予定でいたところ、当日になつてメンバーの変更になり、原告(昭和二六年一二月六日生)は友人長谷部の誘いで急遽、右旅行に参加することとなり、結局、田中、渡辺、長谷部、被告坂本、それに原告の計五名が右旅行に参加することとなつた。富士五湖見物は渡辺、被告坂本の自動二輪車各一台と田中のスポーツカー(定員二名)で行くこととなつた。往路は渡辺、被告坂本が各自動二輪車を、田中がスポーツカーを、それぞれ運転し、長谷部と原告はスポーツカーに同乗して出発した。右五名の関係は、渡辺と被告坂本、長谷部と原告はそれぞれ中学時代の同級生の関係であり、長谷部と渡辺は友人関係であり、原告と被告坂本とはお互いに顔を知つている程度の関係であつた。

尚、出発に際し、被告坂本は原告から被告坂本運転の自動二輪車への同乗を求められたが、危険であるとの理由で被告坂本運転の自動二輪車への同乗を拒否し、渡辺も同じく拒否した旨主張し、被告坂本本人尋問においても右主張に副う供述をしているが、原告は本人尋問において明白に右事実を否定しており、証人渡辺の証言を勘案しても、いまだ被告坂本の右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

(二)  スポーツカーを運転してきた田中は一泊して同車で帰京したが、渡辺、長谷部、被告坂本、原告の四名は、さらに一泊し、八月一九日朝帰路につくこととなつた。原告は渡辺運転の自動二輪車の後部座席に乗ろうとしたところ、渡辺は「乗り慣れない人を乗せるのはこわいので、阿部はむこうのオートバイに乗つてくれ」と言つて断わり、長谷部を同乗させた。そこで原告は被告坂本運転の自動二輪車(被告車)の後部座席に乗ろうとしたところ、被告坂本は事故になつて損害賠償義務を負担させられるのは困るとの気持から、「事故になつても責任は持てないよ」といつたのに対し、原告は、「いいよ」と答えた。かくして被告坂本は、原告を、被告車の後部座席に無償且つ好意で同乗させて進行中、前判示本件事故に至つたものである。右認定の一部に反する原告本人尋問の結果の一部は証人渡辺の証言及び被告坂本本人尋問の結果に照らしにわかに採用しがたく、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

2  ところで人身損害に伴う損害賠償請求権の事前の放棄ないし事前の免責の特約も一般的にすべて無効であると解すべき理由も見出だし難い。しかしながら自動車の同乗にともなう右の如き意思表示は抽象的概括的に行われるのが通常であるから、その法的効果を論ずるに当つては、公序良俗の観念ないし損害賠償制度を指導する公平の原則に照らし、同乗の目的態様、運転者と同乗者との人的関係、運転者の過失の態様程度、同乗者の同乗中の挙動、被害法益の種類と程度等を総合的に勘案し、当事者間の概括的抽象的意思表示の真意を探求し、もつて右の意思表示による免責を認める場合を合理的に限定して解釈するのが相当である。かかる観点から考察すると損害賠償請求権の事前の放棄または免責の特約は、(1)同乗の目的が専ら同乗者の利益にのみ関し、(2)同乗者と運転者とが極めて親密な間柄にあり、(3)同乗後の同乗者の挙動が事故の発生原因に寄与しており、(4)運転者の過失が軽過失の範囲にとどまり、(5)被害者たる同乗者の被害の程度が軽度である等の要件を可及的相対的に充足し、加害者たる運転者の免責を認めるのが社会通念上妥当と思料される場合にはじめて、免責の効果を生じるものと解すべきである。

これを本件に即し検討してみるに、前判示事実によると(1)被告坂本は被告車の運行供用者であることを明らかに争わず、また本件事故時の被告車の運行は同乗者たる原告の利益にのみ関するものではなく、運転者たる被告坂本の利益も併存する場合であり、(2)原告と被告坂本とは右旅行に共に参加したとはいえ、日頃お互いに顔を知つている程度の間柄に過ぎず、(3)同乗後の原告の挙動が事故の発生原因に寄与したと認めるに足りる証拠もなく、(4)本件事故は見とおしの悪い急カーブで減速義務を怠りセンターラインを越えて対向車に衝突した、被告坂本の重大な過失によつて発生したものであり、(5)原告の被害の程度も、左腕切断という重大なものであつて、右の要件を可及的相対的に充足しているものとは到底いえない。そうすると、前判示「責任は持てないよ」「いいよ」との原告と被告坂本との会話が、一般的には、被告坂本の主張するように、損害賠償請求権の事前放棄または事前免責の特約であつたとしても、本件において被告坂本は免責されると解するに由ないものである。

よつて被告坂本の右主張は採用し得ず、また本件全資料によるも、他に右の無償好意同乗の故に、原告が被告車の運行供用者であるとか、自賠法三条の「他人」に該当しないと判断することもできないから、被告坂本を免責にする理由はないし、また「責任」の量的制限を図る見解は、当裁判所の採用し得ないところである。

3  ただ、前判示同乗の目的態様に照らすと、原告もまた被告車の当該運行による利益を得ているものであり、反面において被告坂本の当該運行による利益は割合的に減じていると評価できるから、その他の諸般の事情も勘案し、衡平の理念に照らし過失相殺の規定を類推適用して、「損害」の量的制限を図るのが相当であり、後に認定する原告の損害のうち、逸失利益と慰藉料については各三割を控除した残額、治療費については全額を、被告坂本に支払を命じるのが相当である。もとより無償好意同乗それ自体が過失相殺にいう被害者の過失に該当するものではないが、過失相殺の調整的機能に鑑み、損害の公平な分担の目的を実現するために、右無償好意同乗の目的態様等を、損害の算定に際し斟酌することは許されるものと認めるのが相当である。被告の抗弁二(一)は右の限度で理由がある。

四損害

(一)  治療費 二四万五九七九円

<証拠>によると、原告は右傷害の治療検査のため請求の原因三(一)①ないし④の病院で少くとも原告主張の合計二四万五、九七九円を支出して損害を被つた事実が認められ、これに反する証拠はない。

(二)  逸失利益 九九〇万〇六〇五円

前判示事実、<証拠>に弁論の全趣旨を総合すると、次のような事実が認められ、これに反する証拠はない。原告は昭和二六年一二月六日生(事故当時一八才八月)の独身男性で、私立大成高校に入学したが、父阿部叶の営む家業の中華そば屋を継ぐため、高校一年生在学時に中退し、家業を手伝い、修業に努めてきた。中華そば屋は原告の父母が中心となり、原告及びその兄他、臨時のアルバイトを雇つて営業されている。原告は、家族ぐるみの営業であつて生活を共にしているため、給料という形式での収入を得ることなく、父親から、毎日曜日毎に五、〇〇〇円から六、〇〇〇円程度、一月当り二万円から二万五〇〇〇円程度の小遺銭を貰つていた。原告は右事故のため、利腕ではないが、左腕を左肩関節部から切断し、昭和四六年四月一九日まで通院治療した。原告はその後も家業の前記中華そば屋で働いているが、現在のところ調理部問の作業をするまでにはいたらず、片腕の姿を人目にさらすのを厭い、出前の仕事も躊躇し、皿の出入等の雑用の任にあたつている。また、原告は義手を製作し購入しているが、ボタンを押すと曲る程度で、重い上に、夏場には暑くて、腕としての代替的機能を営むものではなく、むしろ格好を整える程度の機能を営むに過ぎないために、余り装着していない。

右認定事実によると、原告の本件事故により受けた傷害は、昭和四六年四月一九日をもつてその外科的療法を終りその後は原告の社会復帰への意欲と、家業を継ぐという職務環境に照し、その労働能力の漸次的回復が期待できる段階に至つていることが認められ、かつ、右認定の傷害の部位程度、現存症状そして原告の職業ないし職務環境、年令等に鑑みると、原告は同日時点で自賠法施行令二条別表四級四号に該当する後遺症状を有するに至り、その労働能力の喪失は稼動可能年限のほぼ六七才に達するまでの四九年間、程度の差はあれ存続するものといえるが、その喪失の割合は、事故時から一年間は一〇〇%、その後は、順次、二年間九〇%、さらに二年間七〇%、そして稼働終了時まで四四年間は四〇%とみるのが相当である。また事故当時の原告の就労並びに報酬状況に照すと少なくとも全産業全男子労働者中学校卒業の平均賃金(労働省労働統計調査部、賃金構造基本統計調査第一巻第一表)程度の収入を得ていたものと推認するのが相当である。そこで事故時から一年間は、昭和四五年度の右統計による一八才から一九才までの中卒平均賃金年収五四万九二〇〇円の一〇〇%、その後二年間のうち最初の一年間は昭和四六年度の一八才から一九才までの中卒平均賃金年収六二万八一〇〇円の、次の一年間は昭和四七年度の二〇才から二四才までの中卒平均賃金年収九八万二四〇〇円の各九〇%、さらにその後の二年間は昭和四七年度の二〇才から二四才までの中卒平均賃金年収九八万二四〇〇円の七〇%、そしてその後稼働終了時までの四四年間は昭和四七年度の全年令中卒平均賃金年収一二六万三九〇〇円の四〇%、を基礎に年別ライプニッツ複式で算出すると、事故時から一年間は五二万三〇〇三円(円未満切捨以下同じ)、その後二年間の合計は一二七万六四五五円、さらにその後二年間の合計は一一〇万四五五一円、さらにその後の四四年間の合計は六九九万六五九六円となり、結局原告の逸失利益の合計額は九九〇万〇六〇五円となる。(別紙計算書参照)<別紙略>

原告は右の認定判断の一部に反し、労働能力の喪失割合を稼働年限まで終始、労働省労働基準局長通牒(昭和三二年基発五五一号)による第四級後遺障害の労働能力喪失率九二%によるべきことを主張している。なるほど右通牒の労働能力喪失率表は概ね肉体的能力の評価を中心に考量されたものであるが、将来の労働による収入を考えるに当つて、最も重要なことは就職(転職)の可能性にあるものというべきであるから、事案の性質に応じ、被害者の職業、年令、技能等を勘案し就職の可能性の減少の程度を重視して労働能力の喪失率を考量すべきものと考える。原告は幸いにして事故以前から家業の中華そば屋を継ぐべき修業中のもので、事故後も右の立場に変更はないのであるから、労働能力の喪失率を前判示のとおり漸次逓減して考量するのが相当と認められる。

(三)  慰藉料 三〇〇万円

前判示原告の傷害の部位程度、治療経過、後遺症の程度等本件口頭弁論に顕われた無償好意同乗の事実を除く一切の事情を斟酌すると、慰藉料は少くとも三〇〇万円を下まわらないものと認める。

(四)  以上の次第で被告坂本に支払を命ずべき損害額は治療費全額二四万五九七九円、逸失利益と慰藉料の合計額一二九〇万〇六〇五円の七割相当額九〇三万〇四二三円の総合算額九二七万六四〇二円となるが、原告がこのうち三七二万九七七一円を自賠責保険から填補を受けた事実は、原告と被告坂本の間で争いがないのでこれを控除すると、五五四万六六三一円となる。

五結論

以上の次第であるから、内金三〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日であること記録上明らかな昭和四七年九月二九日以降完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める、原告の被告坂本に対する請求は、弁護士費用の点につき判断を加えるまでもなく、全部理由があるので認容し、原告の被告朝倉に対する請求は理由がないので棄却することとする。

よつて、訴訟費用の負担につき民訴法第八九条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して主文のとおり判決する。 (宮良允通)

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